専門領域

私はマーケティングという領域を専門としている。マーケティングは経営学の中でも、比較的よく知られている領域である。しかしマーケティングとは何かと問われると、答えに詰まる人も少なくない。マーケティングは分かりやすく見えて、実は分かりにくい。

マーケティングには決まったかたちがない

マーケティングとは「売れる仕組みをつくること」だといわれる。それでは、売れる仕組みは誰がつくるのか。一部の人だけが努力しても、その実現は難しいだろう。マーケティングを成功させるには、組織全体でさまざまな活動を複雑に組み合わせることになる。

ヒューレット・パッカードの創業者であるデービッド・パッカード氏は、かつて「マーケティングは、マーケティング部門だけに任せるにはあまりに重要すぎる」と述べた。優れたマーケティングの実現には、マーケティング部門だけでなく、経営トップ、研究開発部門、生産部門、営業部門や販売部門など、組織全体での取り組みが求められる。

「競争に勝ち、顧客を満足させるには、組織が一つになって努力する必要がある」という考えは、ごく自然なものに感じられる。しかしこの考えが、マーケティングを分かりにくくしているのも事実である。組織全体で取り組む複雑な活動のため、マーケティングには「決まったかたち」がない。

STP + 4P

「マーケティングって、STP + 4Pでしょ?」という人もいる。STPとは、セグメンテーション(segmentation)、ターゲティング(targeting)、ポジショニング(positioning)のことであり、誰に、どのようなイメージで売るかを決めることである。4Pとは、製品(product)、価格設定(price)、流通経路(place)、広告宣伝(promotion)のことであり、マーケティングの実践手段のことである。

STPと4Pはいずれもマーケティングの重要な要素である。実際、大学の授業ではSTPと4Pをマーケティング活動の基本要素として教えるし、多くの企業でSTPと4Pを中心にマーケティング活動が展開されている。ところがSTP + 4Pには意外な落とし穴もある。

リセット型マーケティング

STP + 4Pだけに頼ると、製品中心のマーケティングとなる可能性がある。誤解の無いように述べておくと、STP + 4Pの本質を正しく理解していれば、製品中心のマーケティングになることはない。しかし「どうしたら売れる製品をつくれるか」であるとか「どうしたら製品の売上が伸びるか」といった視点にとらわれてしまうと、「ヒット商品のマーケティング」になりやすくなる。

ヒット商品のマーケティングは華やかだが、危険も伴う。売れる製品をつくるということは、その製品が売れなくなったときに、ゼロからやり直さなくてはならないことを意味しているからである。製品を中心にマーケティングを考えると、製品を新しくするたびに、それまでのマーケティングをリセットしなければならない。これは「リセット型マーケティング」(石井, 2006)といわれる。

キャンペーン型マーケティング

マーケティングのことを、話題性のある活動だと考える人もいる。マーケティングには、大きな話題を呼び、たくさんの人々の注目を浴びるものがある。派手な広告、イベント、コンテンツなどを見て、マーケティングをイメージするのも無理はない。

しかし、そうした輝かしいマーケティングは、たいがい鮮度が限られていて、長続きしない。社会心理学者が指摘するように「最初はメディアにもとりあげられ、口コミも広がり、大きな話題になる」が、「あっという間に新鮮味と面白みが失われ、人を動かす力を失って」いく(山田, 2019, p. 45)。なぜなら、人々の興味や関心を刺激し続けるには「絶えずコンテンツを更新したり、新たな施策を展開したりするなどして、人びとに新鮮味のある刺激を与え、その行為に対する意識的関与が低下しないようにする必要がある」からである(山田, 2019, p. 46)。きらびやかな、キャンペーン型マーケティングは、一瞬の輝きとともに消えていく。

売れ続けるための仕組み

リセット型マーケティングに陥ったり、キャンペーン型マーケティングの短命性を避けたりするには、どうすればよいのだろう。それは製品やキャンペーンを超えた次元で、ビジネスの仕組みを考えることである。

実はこれまで多くの研究者が、この問題に取り組んできた。顧客満足(CS)、ブランド、市場志向などは、その典型である。これらは内容的にはまったく異なるが、いずれも「売れ続けるための仕組み」という点で共通している。どれも長期的で、戦略的な視点に基づく議論である。

もちろん「STP + 4P」はマーケティングの基本であり、その重要性は常に変わらない。またキャンペーン型のマーケティングが有効に機能することもある。したがって売れ続けるための戦略的な視点は、STP + 4Pやキャンペーン活動と組合わさせることで真価を発揮する。

3つの研究テーマ

研究者としての私の関心は、この売れ続けるための仕組みの解明にある。

私はこれまで、いくつかのテーマを軸にして研究を続けてきた。まず2000年ころから約10年にわたり「リレーションシップ・マーケティング」を研究してきた。その後2010年ころから「ブランド・リレーションシップ」に取り組みはじめた。そして2020年ころからは「リキッド消費」についても研究している。

リレーションシップ・マーケティングとは売り手と買い手の関係性に注目するマーケティングであり、ブランド・リレーションシップとは消費者がブランドに抱く心理的な結びつきのことである。またリキッド消費とは、短命性、非物質性、アクセスベースなどによって特徴づけられる、今日の流動的な消費環境を捉えるための包括的なコンセプトであり、現代の気まぐれな消費者を理解するための鍵となるものである。

一見すると、これら3つのテーマは関連性に乏しいように思えるかもしれない。しかし、どれも長期的かつ戦略的な視点の議論であり、安定的かつ継続的な成功を意識したものである。

私の研究テーマは「一時的に盛り上がった後、急激に人々を動かす力を失っていくキャンペーン」(山田, 2019, p. 46)とは明らかに違うものである。それはショーウインドーに飾られるようなマーケティングではなく、いつまでも色褪せないマーケティングである。

References

石井淳蔵 (2006).「マーケティング・マネジメントの新地平」『季刊ビジネス・インサイト』14(2),6-19.

山田歩 (2019).『選択と誘導の認知科学』新曜社.