リキッド消費に対応したマーケティング戦略

「生活の中に溶け込む」戦略

つづいて「生活の中に溶け込む」戦略について説明していく。この戦略も「裾野を広げる」戦略と同様に、文脈への適合と消費の手軽さがもたらす心地よさを消費者に提供するものである。

離反することを忘れてしまう心地よさ

「生活の中に溶け込む」戦略では、一人一人の消費者に対する理解を深め、パーソナライズした対応をすることで、消費者にとって「必要なときに必要なものが提供される」関係をつくりあげていくことが目指される。そしてその際、生活の中のできるだけ多くの場面で接点をもうけ、消費者がその時々に求めるものを察して、ブランド側が自ら柔軟に対応をしていこうとする。こうすることで「消費者自身が努力しなくても、自然と満足が得られる状態」が提供され、ブランドは消費者の生活になじみ、彼らの日常をかたちづくる存在となっていく。

生活の中に溶け込んだブランドの強みは、離反することを忘れてしまう心地よさにある。この心地よさは次第に「自然」なものとなり、それを提供するブランドは「あってあたりまえ」(存在して当然、必要不可欠)という存在となっていく。

必要なときに必要なものを届けられる仕組みの構築

離反することを忘れてしまう心地よさを実現するには、「必要なときに必要なものを届けられる仕組みの構築」を構築できるかがポイントとなるだろう。私はこのために、少なくとも2つのポイントがあると考えている。「顧客接点をできるだけ増やすこと」と、「個別的かつ柔軟な対応を実現すること」である。

はじめに「顧客接点をできるだけ増やすこと」について説明する。顧客は日々、さまざまな場面で、さまざまなニーズを抱いている。そこで、生活全体にわたり顧客接点を構築することでシームレスに顧客を満足させることができる(価値の提供)。また個々のニーズを点としてではなく、点と点を結ぶかたちでとらえることで、顧客のニーズをホリスティックにとらえることが可能となり、消費者が真に求めているものを推察しやすくなる(情報の収集)。このように「生活全体にわたる顧客接点」を構築することで、「情報の収集」と「価値の提供」という2つの機会の双方を獲得することができる。

つづいて「個別的かつ柔軟な対応を実現すること」について説明する。個別的かつ柔軟な対応は3つの下位タスクから構成される。1つ目は顧客学習による関係的知識の形成である。これは、生活全体にわたる顧客接点から得られた顧客の様々な情報を学習することによって、その顧客との関係に特定的であり、なおかつ他のブランドには真似のできない特異性の高い知識を形成することである。2つ目は顧客ニーズの予測である。これは上述した顧客特定的な知識を活用することで、さまざまな場面において顧客がどのようなニーズを抱くかを事前に予測することである。3つ目は関係的契約に基づく事後的対応である。これは事前にすべてを決めるのではなく、その場に応じた臨機応変な対応を、ひとりひとりに合わせたかたちで提供することである。これら3つのタスク(顧客学習による関係的資源の形成 + 顧客ニーズの予測 + 関係的契約に基づく事後的対応)によって、個別化された柔軟な対応を、状況に応じて提供することが可能となる。またそれは、上述した「情報の収集」と「価値の提供」を結びつける働きを担うことになる。

ただし「顧客接点をできるだけ増やすこと」も「個別的かつ柔軟な対応を実現すること」も、その実現は容易でない。生活全体にわたる顧客接点を構築するには、そのブランドがカテゴリー横断的でなくてはならないし、膨大なアイテムを提供する必要がある。また個別化された柔軟な対応を状況に応じて提供するには、少なくとも顧客接点を確保するためのデバイス、自己学習能力がある情報処理システム、顧客横断的な推論を可能とする大規模データが必要となるだろう。たとえばスマート・スピーカーのようなデバイス、ディープラーニング型のAI、協調フィルタリングを可能とする大規模データセットである。

オールインクルーシブのプライシング

顧客が「離反することを忘れてしまう心地よさを」感じるためには、上述した「必要なときに必要なものを届けられる仕組みの構築」に加えて、「オールインクルーシブのプライシング」を実現できるかも重要である。

「オールインクルーシブ」(all-inclusive)とは、すべての費用が含まれた料金システムのことである。一部のホテルやリゾートなどで採用されている、宿泊、食事、アクティビティなど、滞在中のすべての費用が含まれている料金システムをイメージすると分かりやすいだろう。あるいは東京ディズニーリゾートの「パスポート」もこれに近いシステムといえる。

オールインクルーシブの特徴は、いったい何にお金を支払っているのかが分からなくなることにある。オールインクルーシブ型のプライシングを採用することで、顧客は「価値を計算しなくなる」わけである。

オールインクルーシブ型のブライシングは、必要なときに必要なものを届けられる仕組みがもたらす心地よさを強化(enhance)する。必要なときに必要なものを届けられる状態が、お財布を心配することなく提供されることによって、いっそう心地よいものとなるからだ。この結果、そのブランドは生活になじみ、日常をかたちづくる存在となっていく。そして、この心地よさは次第に「自然」なものとなり、またそれを提供するブランドは「あってあたりまえ」なものとなっていく。

「必要なときに必要なものを届けられる状態」と「価値を計算しなくなる状態」が組み合わさることで、「離反することを忘れてしまう心地よさ」はより一層強いものとなる。そして消費者は、そのブランドをいつのまにか継続して利用したり、自然と買い続けてしまう。結果として、ブランドは「存在して当然であり、なくなると困るもの」(必要不可欠な存在)となる。

「生活に溶け込む」戦略は実現可能なのか

「裾野を広げる」戦略と比較して、「生活に溶け込む」戦略は容易でない。すでに述べたように「顧客接点をできるだけ増やすこと」も「個別的かつ柔軟な対応を実現すること」も簡単に実現できるわけではない。また「オールインクルーシブ型のブライシング」の導入も同様である。

「生活に溶け込む」戦略はエコシステム(生態系)型ブランドや、プラットフォーム型ブランドに有利な戦略である。「生活全体にわたる顧客接点」を確立するためは、カテゴリー横断的に膨大なアイテムを提供する必要があるし、「個別的かつ柔軟な対応を実現する」ためには高度なIT技術が求められるだろう。こうした経営資源を単独で併せ持つ企業は、少なくとも現時点において、エコシステム(生態系)型ブランドや、プラットフォーム型ブランドに限られてくる。実際、AmazonやAppleは、かなりの水準で生活に溶け込みつつあるように思える。もちろんこうした企業も、「生活に溶け込む」戦略を完全なかたちで遂行できているわけではない。

一般的なブランドの場合、他のブランドと連携をし、ブランドの集合体(assemblage)を形成することで、消費者の生活に溶け込む糸口を見出すことになるだろう。実際こうした考え方は、ブランド研究の最先端において、すでに提唱されている。たとえば著名なブランド研究者であるスワミナサンらは、伝統的なユーザー・エクスエペリエンス概念は製品やサービスの使用に依拠したものであったが、今後はこれをブランドがリンクしているネットワーク全体ないしはエコシステムを横断するかたちの相互作用にまで拡大して考えるべきだと指摘し、これを「ブランド・ネットワークのユーザー経験」(brand network user experience, Swaminathan et al. 2020. p. 32)と命名している。今後は複数の企業のブランドが提携し合うことでネットワークを形成する動きが出てくるかもしれない。